英語担当 熱田 毅
翻訳と和訳
大学受験のシーズンが、いよいよ近づいてきましたね。
自習室で自習されている生徒さんたちのやる気はますますあがってきているように思えます。
ただ、その熱量に反比例するように、気温はますます下がってきています。
特に今年の冬は、久しぶりの冬らしい冬なようで、我が家の灯油の消費量は昨年の倍ペースです。
もう、指先は、あかぎれはするわ、かじかむわで、パソコンをカタカタと打たなければならない私にとっては、散々なシーズンです。
実のところ、私は、ここLEADでの仕事の傍ら、生駒インターナショナルチャペルというプロテスタント系の教会で翻訳、通訳を行っています。
牧師が日系アメリカ人で、メッセージ(説教?)が基本的に英語なので、どうしても通訳、翻訳者が必要なのです。
そんなこともあって、教会付きの翻訳者として、もう数年ほどお世話になっているのですが、翻訳をするたびに、こんな英語の言い回しがあるのかと新しい発見があります。
ただ、大学受験では、「日本語にしなさい」、「和訳しなさい」という設問はあっても「翻訳しなさい」といったような設問はありません。
もちろん、この言葉の違いに関して多くの知識人の方々が見解を述べておられると思いますが、個人的には、作業自体は特に変わらないと思うのです。
実際、基本的には、自分は中高で学んだ英語の知識に基づいて、英語を日本語にしているからです。
一体何が違う?
ただ、大学受験で求められる和訳と、教会で求められる翻訳には、大きな違いがあると思っております。
それは、訳を読んでもらう対象に違いがあるからです。
ケース1 ペルーのおじさん
そして、この違いを明確に、あるいは、身をもってしたのは、東京のある弁護士事務所で翻訳の仕事をしていた時です。
以前ブログでも書いたように大学時代、スペイン語を学んでいたこともあって、超特殊なスペイン語対応ができる法律事務所で働いていたことがありました。
そこには、色々な問題を抱えたスペイン語、ポルトガル語圏の方が相談に来られていました。
ある時、ペルー国籍の中年の男性に、裁判で必要となってくる書類やこれからの手続きなどがまとめられている書類を翻訳して、その方に説明し渡すという仕事を引き受けたことがありました。
その方は、ちょび髭で、目がぎょろっとした明るい方でした。
よくよく考えると、厄介な問題を抱えているからこそ、わざわざこちらの事務所まで足を運ばれたはずなのに、困った顔一つせず、終始、笑顔なのです。
この陽気なおじさんが、堅い法律用語まみれの形式ばった翻訳文を読みたいとは、当時のわたしにはおもえなかったのです。
だから、敢えて法律用語を出来るだけ使わずに、日常的に使われる言葉で説明的に訳したものを渡しました。
やはり、それが、そのちょび髭のおじさんには、正解だったのです。
ケース2 裁判所
一方で、裁判所に提出する書類の翻訳も任されたことがありました。
わたしの偏見も入っているのかもしれませんが、裁判所とは、一番お堅い所で、裁判官とは一番お堅い人というイメージを当時のわたしは持っていました。
そんな場所に提出する訳文が、あのニコニコ顔のペルーのおじさんに渡す訳文と同じであるわけがありません。
実際、裁判所に提出する際には、訳文の下に自分の署名し、印鑑を押さなければならないのです。
その理由は、なかなか怖いものです。
翻訳に誤りがあった際に、この翻訳を手掛けたものを処罰するためです。
結果として、訳文は原文を意訳せずそのまま単語を置き換えていった直訳に近いものでした。
ガチガチの機械翻訳みたいな訳です。はっきり言って、訳した自分ですら読みにくいと思いました。
しかし、この裁判所という場では、あれが正解だったのだと思います。
だから、こうやって自由の身でブログを電車の中で書かせていただいています(笑)
大学入試の和訳の読み手とは?
では、本題に戻ると、大学入試で求められている「和訳」、「日本語訳」とは一体どのようなものなのでしょうか?
ここでの、読み手とは、大学、厳密には、採点官である大学の先生です。
流石に、採点を大学院生に任すことは世間的に許されないと思うので、常勤の教授たちが採点していると思われます。
大学時代のわたしの担当教官はよくこの採点に関して居酒屋で愚痴をこぼしていました。
実際、採点後の教授の部屋に行くと、シンクには空のインスタントコーヒの瓶が転がっていて、机には普段の二倍ほどの吸い殻が溜まっていました…
かなり大変だったんだろうと思いました。
以上のことから、おそらく、読み手は、老眼がすでに入った平均年齢50近くの若干苛だっている大学の教授陣だと想定しています。
つまり、この時点で、小さく薄い字で書かれた解答は、大分不利です。
なぜなら、十代の受験生、自分も、まだ分からないのですが、老眼になると、薄く小さい字だと、読むだけでも時間がかかってしまうようです。
大学を受験する際に当たっての心構え
まぁ、そうとは言っても、学校の先生のように、あるいは、わたしのように、読もうとしてくれるのではないかと思っておられる方もいるかもしれません。
しかし、ここで、思い出していただきたい大事なことがあります。
大学側は品定めをする側なのです。
あくまでも、受験生と言うのは、「挑戦者」の立場であるということを心にとめておいていただきたいのです。
だから、「読んで頂く」というくらいの気持ちで臨むのが望ましいと思います。
もちろん、字の上手い、下手はあると思います。
確かに、「字が下手であればその時点で厳しいのか?」と思われる方もおられるかもしれません。
しかし、わたしは、決してそうは思いません。きれいな字よりも、丁寧な字がいいのです。
言い換えるならば、訳文を読む相手思って書かれた「愛」のあるものがいいのです。
わたしもよく添削をしますが、どれほど綺麗な字でもノートの節約のために行間もあけずにぎちぎちに書かれていたり、面倒くさかったかして消しゴムを使わず二重線で訂正されていたりする解答を見ると、添削する気は削がれてしまいます。(それでも、なんだかんだ言って、きちんと添削はして返しますが…)
現実、一昼夜で字がきれいに書けるようになるのは難しいと思います。
しかし、丁寧に相手への愛をもって答案を作成することは、いつからでも出来ます。
だから、今日からでも添削などを提出する際に心がけてみてください。
また、次に、実践的に、どの様な答案が、大学受験において正解になるのかについて書きたいと思います。