2018年年頭にあたって

2018年年頭にあたって 「今、私が問われていることは?」

ITS 岩崎美好

 あけまして、おめでとうございます。
年初にあたり、皆様へのご挨拶のために、今考えていることをまとめさせていただきます。

1、サクセスとハッピーは、違う!

色々考えている時、わが師・岩田静治先生から、非常に有効な思考の補助線をいただきました。
それは、朝日新聞に掲載された矢沢永吉さんのインタビュー記事の紹介でした。
その中の引用箇所をまず見ていきます。素敵な言葉が続いています。

*「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」
*「20代で長者番付に出たけど、心がちっとも温かくない。『神様、成功したら寂しさ、悲しさは消えるんじゃなかったの』と聞いたら、神様が指さした。見るとサクセスとは違う、もう一つのハッピーというレールがあった。成功と温かくなることは別だったんだ」
*「人を喜ばせるより、まず自分でハッピーになることが大事」
* 國分は矢沢の言葉から、ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントを思い出したという。「アーレントは『孤独と寂しさは違う』と言っています。孤独とは、私が自分自身と一緒にいること。自分と一緒にいられない人が寂しさを感じ、一緒にいてくれる他者を求める。だから、自己と対話できない。孤独にならなければ、人はものを考えられない。孤独こそ、現代社会で失われているものです」
以上、朝日新聞(1月1日)「平成とは 時代の転機」 より抜粋。

さて、いかがですか。
『サクセスとハッピーは違う』とは、大事な指摘ですね。
世間的規準(お金がある、出世している、など)によるサクセスは、ハッピーには繋がらないというのは、本当に肝に銘じるべきこと。
大事なのは、自分と自分自身との対話をやり抜いて、他者・世間の価値規準ではなく、自分にとってのハッピーをしっかり自分の中で意識していくことですね。
でも、またそれが難しく、何が自分のハッピーなのかを意識することが難しいので、つい常識とされるものに頼って、常識に合わせてもあまりハッピーでないことにどこかでぶつかりながら、あれこれ悩んでしまうのかもしれません。
では、どうやって自分のハッピーを見つけていけばいいのか。

 
2、自己との対話の重要性

それが、先ほどの引用に出てきた國府先生が言っておられる<自己との対話>ではないかと思います。
これは、岩田静治先生的にいえば、自分の中の影(人間が誰しも持っている無意識の部分、ユングのいう元型)としっかり対話して、影を封じ込めるのではなく、そこを光に転ずる=自分の生き生きと生きる力に転じていくということに通じると思います。

自分が、ムチャクチャイヤに思うこと、腹立つこと、落ち込むこと、なんともしようがないとお手上げになること、逃げ出したくなること、他人任せにしてしまいたくなること、などなど。
そんな否定的な気分が出てきた時、それをもう1人の自分で見つめ直して、「何が、今、自分に問われているのか」を考えてみる。そして、自分にとって何がハッピーなのかを、他者ではなく自分と対話して見出していくということのような気がします。
たとえば、私的に言えば、懸命に教えているつもりでもなかなか生徒の力を伸ばせないなど仕事がうまく進まなくてイライラしたり、奥さんとちょっとしたことで喧嘩してムシャクシャしたりなど、生きていたら日々何か影が出てきます。こんな時に、無意識に影に囚われっぱなしになると危険です。何もうまくいきません。もう1人の自分がその影に向き合って、今何が問われているかを自問自答し始めないとダメということです。

こんな影との向き合い方をちょっと意識するだけでも、影に囚われ続けてエネルギーを漏らし続けることが減るのではないでしょうか。
これに関連して、國府先生が引用していたハンナ・アーレントから、もう少しこのことを考えて見たいと思います。

アーレントは、「一生を通じて、ナチス体制に協力せず、公的な生活に関与することを拒んだ数少ない人々は、どのような形で他の人々と違っていたのか?」問いを立てます。(「独裁体制のもとでの個人の責任」1964)

そして、解答として述べています。
「公的な生活に関与しなかった人々は、大多数の人々からは無責任と非難されたが、あえて自分の頭で判断しようとした人々だった。」
「古い掟を守ったからではなく、殺人者である自分とともに生きていくことができないと考えたから」で、それは「自己とともに生きていたいという望み」を持ち、「自己との間で無言の対話を続けたい」と願い、「思考、すなわち自分と自分自身との対話」をし続けた人々であった」。
「最善なのは、どんなことが起ころうとも、私たちは生きる限り、自分のうちの自己とともに生きなければならないことを知っている人々。」

ナチスの時代は、600万人のユダヤ人を殺したと言われているように今から振り返れば確かにとんでもない社会でしたが、当時のドイツ国民からすれば、ドイツ人ファーストでユダヤ人迫害が常識であり、抗するのがむしろ難しい全体主義社会でした。「悪の凡庸さ」とアーレントの喝破したアイヒマンのような人物(人としてはどこにでいる平凡な役人が、多数のユダヤ人を収容所送りにした)こそが、普通だったのでしょう。
その中で、そんなナチス的価値観・公的生活に抗した人々は、なぜそれができたのか。またその歴史から学んで、佳き人類史を斬り開くためには、どのようなあり方を人は貫いたらよいのか。
そのことを、アーレントは教えてくれているように思います。

時代の常識は、移り変わりますが、今の常識にとらわれるのではなく、自分にとってのハッピーを、自分と自分自身との対話で見出していくようにしようと、あらためて年初に心に刻んで、今年も生きて生きたいと思います。

 
3、2018年の世界の中で考える

2018年は、私たちは、ある種の危機の中にいることも見据えておかなくてはならないようです。
国連の事務総長が、年頭アピールで警告を発しています。
朝日新聞によれば、以下の通りです。

国連のグテーレス事務総長は新年のメッセージで、「世界は根本的に平和と反対の方向に進んでいる」として「非常警報を世界に発する」と強い危機感を示した。その上で「世界をより安全、安心にできると固く信じている」とし、国際社会の結束を求めた。
メッセージは昨年12月31日に公開された。グテーレス氏は「紛争は激化し、新たな危険が生まれている」としたほか、北朝鮮の核開発を念頭に「世界の核兵器への不安は冷戦以来最も高まっている」などと世界が直面する課題を挙げた。(ニューヨーク=鵜飼啓)

東アジアにおける北朝鮮をめぐる戦争的危機、西アジアにおけるサウジとイランの対立を軸にした戦争的危機など、グレーテス氏が「非常警報」と言わなければない状況の中で、私たちは生きています。
また、毎日新聞や朝日新聞の1/1の社説では、最近の国内政治状況から民主主義への危惧を論じていますが、私としても、改憲が具体的な政治課題として論じ始められており、戦後民主主義が転換点にきていると感じています。

グローバリズムの世界がある種の行き詰まりを迎え、トランプ大統領の登場、イギリスのEU離脱、世界各地での排外主義的潮流の台頭、そして絶えない紛争・戦争的危機などなど、確かに危機は噴出しています。

しかし、一方で、そうした分断・対立の渦に抗して、人間を大事にして、つながりを大事にしようという動きも世界中に存在します。差別を煽る動きに対しては、連帯を。争いに対しては和を。格差に対しては、平等を。
ノーベル賞でもicanが平和賞を受賞し、被爆者のサーロン節子さんが「核は絶対悪」とスピーチを行いました。また、文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんは「世界の分断埋めたい」とスピーチしました。そうした思想が、世界で求められ、支持されている時代でもあるのです。

大事なのは、一人一人がどのような意識を持って、世界の中で生きるかです。
私たち一人一人の意識とエネルギーが世界を作っています。自分が変わることで何かしら世界も変わって行くはずです。

再びアーレントを引用させてもらいます。
「言葉と行為によって人は自分を人間世界の網の目に挿入し、自分が『誰であるか』を示し、ときには『奇蹟』とも映る予測不可能な『始まり』をそのつど世界にもたらす。」
(「人間の条件」1958)
「 私たちは、考えることや発言し行為することによって、自動的あるいは必然的に進んでいるかのような歴史のプロセスを中断することができる。そこで新たに始めることができる。」

問われているのは、今、自分がどのように生きたいのか、どのような人との関わりを持ちたいのか、どんな世界にして生きたいのか、ということだと思います。
決して、状況に流されるのではなく、始める!意識を持って生きていきましょう。
日々の生活、仕事の中で、自分と自分自身の対話をおろそかにせず、自分がハッピーであるように意識して行くことが、世界に向き合う必要条件です。これをきちんと満たして、世界と日本をどうしたら良いのか、考えていきたいと思います。

また、仕事上、中高生・大学生の学習指導をしていますが、若者にもサクセス(合格・成績アップなど)とハッピーとは一緒ではないこと、自分のハッピーこそをしっかり見つけてほしいということを常に基調にした指導を貫きたいと思います。

以上、長くなりましたが、年頭のご挨拶とさせていただきます。

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