3月になると、街のあちこちで「○○大学△△名合格!」という横断幕や広告を目にするようになります。

受験の季節が終わり、成果が形として表れるこの時期。講師としても、生徒たちの合格報告はやはり嬉しいものです。
ただ、その一方で——この時期は「喜び」だけでは終わらないのが正直なところです。
むしろ、どちらかといえば「反省」の気持ちの方が大きくなる、そんな季節でもあります。
反省の理由
なぜなら、すべての生徒が志望校に合格するわけではないからです。
そして私は、その結果に対して「仕方ない」と割り切ることが、どうしてもできません。
あくまで個人的な考えですが、合否の結果には講師側の責任も大きく関わっているのではないかと感じています。
これまで約10年、大学受験生を指導してきました。当然ながら、全員を志望校に送り出せたわけではありません。受験に絶対的な必勝法は存在しない——それは事実です。
しかし、「合格の可能性を高める方法」は確実に存在します。
例えば、志望大学の試験科目を夏以降しっかり受講している生徒は、体感として80%以上の確率で合格しています。
この差は、決して偶然ではありません。
一方で、1科目だけの受講や、直前期だけ必要科目に取り組むようなケースでは、合格率は10%を下回ることも珍しくありません。
このことを分かっていて、伝えてきたけれども、納得してもらえなかった生徒さんもいました。
そして、結果、やはり、志望校に合格できなかった…という負のループを繰り返している自分をこの3月に再確認するのです。
同じ過ちを繰り返すのか?
では、なぜ自分は納得してもらうことができなかったのかと、考えていく中で、ふと自分自身の過去の行動が思い浮かびました。

以前、私は貿易業に関わりながら為替取引を行い、アマチュアですが、現在も株式投資を続けています。
その中で、いわゆる「プロ」と呼ばれる人たち——ファイナンシャルプランナーや証券アナリストに相談したこともありました。
しかし、結局私は彼らの助言に従いませんでした。
理由はシンプルです。
「信用できなかった」からです。
ある人は、良い点ばかりを強調し、明確な根拠を示さないまま話を進めてきました。
別の人は、こちらの話を丁寧に聞いてくれるものの、結局は曖昧なアドバイスに終始し、判断の軸を示してはくれませんでした。
どちらにも共通していたのは、「この人の言葉に責任を感じられない」という違和感でした。
同じではないか?
そして気づいたのです。
これは、そのまま講師としての自分にも当てはまるのではないか、と。
生徒に対して、私は本当に「納得できる根拠」を示せていただろうか?
必要なことを、具体的かつ論理的に伝えられていただろうか?
あるいは、曖昧な表現で責任をぼかしてしまっていなかっただろうか?
もしそうだとすれば、生徒さんがアドバイスを受け入れなかったのも無理はありません。
新年度に向けての抱負
今年度は、この反省を無駄にしないようにしたいと思います。
ただ教えるだけでなく、「伝わる」ことにこだわる。そして、根拠と責任を持って言葉を届ける。
3月は、終わりではなく、次へのスタート。
そう思いながら、また新しい一年に向き合っていきます。
