医療の世界では診断や治療法は病院にいって「専門家に任せるべき」という考えが浸透しています。が、教育の分野ではなぜか誰もが「教育評論家」になるといわれます。自身の経験を絶対化しがちで、専門家の意見でも感情的に受け入れられない、ということが起こりがちです。
自分の成功体験や独自の理論に固執するあまり、大きな壁にぶつかることも少なくないのですが、壁にぶつかっていることすら気づかないことは課題かもしれません。よくあるケースをご紹介します。
柔軟な思考がチャンスを掴む
たいていの場合、柔軟で素直な生徒が成果を出せないケースはほとんどありません。成績が伸び悩む原因を分析し、適切に修正して改善できるからでしょう。
一方で、過去のやり方に執着する人は、思うように結果を出せないまま終わってしまうことが多くなっています。
「やってはいけない!」を知ろう
失敗を避けるためには、まず「絶対にやってはいけないこと」を知ることが重要です。医師国家試験には"禁忌肢"という、選んだら即不合格になる選択肢があります。
教育にも同じように、必ず成果が出ない方法があります。
例えば、「複数の塾を掛け持ちする」というのは、エネルギーを分散させる典型的な必敗法です。
特に科目ごとに塾を変える生徒で、優れた成果を出した例を私は知りません。
勉強は習慣化が大切ですが、複数の塾に通うことで脳のリソースが余計な切り替えに消費され、本来集中すべき学習に割けなくなってしまいます。
実際、中学から高校と模試で全国一位を取りつづけてきた生徒が、私たちの塾に切り替えたことがありました。その理由は明確でした。「複数掛け持ちは効率が悪い」と感じたからです。一ヶ所に集中し、そこでの学びを最大化するほうが成果を出せると気づいたのです。
思い込みを書き換えるのは至難の業
入塾する時点で他の塾にも通っている生徒は少なくありません。特に英語を学ぶケースが目立ちます。英語は数学や物理と違って、社会人になってからでも独学で学んで教えることができるようになった人が多いためです。留学経験がある大人が「英語なら教えられる」となることも多いと思います。
しかし、例えば日本語でも「法律用語の日本語」と「学問の日本語」「小説の日本語」のテストではでは全く異なるスキルが必要です。
同じように「日常英語」と「大学入試英語」や「TOEIC英語」のテスト対策もまったく別物です。この違いを理解せずに教えると、思うように結果をだすことはできません。特に、生徒が間違った学習法を最初に学んでしまった場合方法、意外と修正が厄介です。
狂気とは、同じことを繰り返して異なる結果を期待すること
この有名なアインシュタインの言葉、心当たりはありませんか?実は私たちが意外と日常で繰り返してしまうことなのです。今までの方法で成果が出ないのに、同じやり方を繰り返して「次こそは」と期待する。これでは宝くじのようなものになってしまいます。
教育はある程度、再現性がある方法が基礎的事項には取り入れられています(九九を暗記する、漢字が書けるなど)。学年が上がるにつれて、やるべきことが増えてきて混乱しがちです。
しかし、成果が出ないなら原因をしっかり分析し、試行錯誤を繰り返す必要があります。
これは将来のビジネスにおける展開と同じです。
かつて近所の塾と並行して私たちの塾に通ってきてくれていた人がいました。
その子は「ぶ厚い文法参考書」をひたすら覚えていましたが、長文読解の力が一向に伸びない。
なぜか?
長文を読むのに文法は必要ですが、長文を読む時と文法を文法として学ぶ時には脳の違う部分を使っていると思います。
時代が求める力には合っていません。文法知識だけに偏る勉強法では、今の大学受験英語の本質に迫ることはできません。
そもそも、『なぜ今までのやり方でうまくいかなかったのか』を考えることをしない人は、勉強にあまり関心がないのかもしれません。
「石の上にも三年」は子どもには通用しない
「石の上にも三年」という言葉がありますが、高校生活はたったの三年間しかありません。
その間に日々成長し、テストでも成果を問われます。
同じやり方で伸びないなら、早急に改善する必要があります。
成績が5割以下のまま慣れてしまうと、その状態が固定化されてしまいます。
成長が早い十代までの年代は何が得意か、何に興味を持つか、を注意深くみてあげることも大切になることもあるでしょう。
習い事に関しても、「一旦始めたらやめてはいけない」という縛りが日本はきついと思います。
変化の激しい時代に、一つのことをとにかく続けるということは、新しい状況に対応できていない可能性もあります。
今回は塾の例を挙げましたが、十代の勉強に限らず、別の角度からものごとを見る力、新しい発想を受け入れていく力はどの分野でもますます重要です。自分の枠を超えた考え方を受け入れることは、大きく成長していく人になり、だれにでもそのチャンスはあります。