『子どもと学校』(河合隼雄著)に学ぶ

【教育の場は、新しい価値を創造してゆく場】

今回は、『子どもと学校』(河合隼雄著、岩波新書、1992年)に学んでいきます。

久しぶりに読み返してみましたが、やはり河合先生は、すばらしい!

30年前に出版された本ですが、河合先生は、本書において、受験競争や不登校など、今日でもいまだ解決されていない問題を多々考察されています。

河合先生は、本書の最初の章(1のところ)で受験競争の中で「大人の一様な価値観に災いされて、子どもたちが壊されていく」姿に心を大変痛めておられます。
私たちも現場で多々みてきました。「進学校」でクタクタになって、助けを求める子たちを何人もケアしてきました。近年では、不登校で、わたしたちのところにくる人も増えてきていることを実感します。

そんな中で、どう子どもたちの成長・成熟を軸にした学びを創造できるか、をしっかり考えて、LEADの学びの仕組みをバージョンアップしていきたいと考えています。


あらためて読み直して、河合先生の鋭さと人に対する暖かい視線に感動いたしまた。これから、LEADで、何をなすべきかのヒントをたくさんいただきました。その内容を以下でご紹介していきます。

このコラムは、LEADメソッドの準備として、同書の内容をノートを取りつつ、考察をめぐらしていく記事になります。

河合隼雄先生は、日本にユング心理学を導入した臨床心理学の専門家でいらっしゃいます。高校の数学教諭から、スイスのユング研究所で学ばれ、京大教育学部の教授、学部長を務められ、その後、文化庁長官も務められました。
ちょうど、私・岩崎美好が、学部生の頃、教育学部長でいらっしゃいました。直接教えていただく機会はありませんでしたが、当時のキャンパスの同じ空気を吸っていた方が、こうした教えを残してくださったことに深く感謝したいと存じます。


Ⅰ 教育の価値を見直す

1 教育における「価値」

*価値の一様性

日本の教育の「実情」「勉強のできる子は偉い」という一様な価値観に染まってしまっている。

 親も、教師も、点数・序列を評価の対象にする。

・根本:「よい大学」を卒業し、「よいところ」に就職すると幸福になるという考え方

 子どもの個性に従って大学を選ぶのではなく、その成績によって適当なところを選ぶ、という考え方。

このことがどれほど子どもたちの「幸福」を奪っているか、よく考えてみる必要がある。

・もう一つの一様な価値観:「素直なよいこ」という理想像

 親や教師など目上の人の言うままに、それに従うことを意味している。

・そのような「よい子」が、大学に入ったとたんに「自主的判断」をもって研究せよなどと言われてもできるはずがない。優等生だった子どもが、大学入学後、すぐ挫折したりする。

2「臨床」の視座

*「臨床」と言うこと

・もともとの死の床に臨むという「臨床」の用語を少し拡大して、教育の場に適用してみてはどうだろう。

・われわれが床につくのは、死の時だけではない。病気、休息などがある・

一般的には病気よりは健康が、休息よりは仕事が価値あるものとされるときに、病気や休息(広義に遊び)の方に光を見出すような価値観をもって、教育を見直すことはできないであろうか。

・死、病い、遊びなどを全否定するのではなく、その中で光を見出すようなダイナミックな価値観をもって、教育を見直そうというのである。

・そのような視座を持つことによって、教育に関する異なった風景が見えてくる。

*病いの意味

子どもたちも、時に立ち止まって内面を見たり、あるいは内的成熟の進行中は、じっと立ち止まっていたりすることが必要

不登校の子どもに、「必要な引きこもり」の感じを持つことよくある。

それは、広義において、非常に健康な反応なのかもしれない。

*遊びの重要性

・大人たち(特に教育者と言われる人たち)は、指導したり、言い聞かせたりすることが好き過ぎる。

自由な遊びの中に、子どもの創造活動が現れ、それを通じて子どもたちは自ら癒され、自ら育ってゆく

・遊びによって子ども時代に養われたイマジネーションのはたらきは、成人してからも創造活動をするときに、そのベースとなっている。

 「お勉強」で固められ、遊びの少ない人間は、成人してから創造的な仕事を達成できない

*死からの展望

・人間は必ず死ぬ。ときに、死んでゆくものとして自分を見、子どもたちを見てみる。このことによって、子どもの教育に対する大人の態度が少し変わるはずである。

ともかく、ガツガツ、イライラした態度は、少し緩和されるのではなかろうか。

*価値の多様化

・教育にゆとりをもたせ、生徒たちにほんとうの幸福を願うなら、親も教師も、もっと多様な価値観を持つべきではなかろうか。

・学校では「勉強」、社会では「お金」という、数字によって一様に序列づけられるもので、その価値を測るのではなく、もっといろいろな尺度をもって、子どもたちを測ることを考えてはどうであろう。

・豊かな可能性を持った子どもたちが、大人の一様な価値観に災いされて、みすみすそれを壊されてゆくのは、みるに忍びない感じがする。

・臨床の目を鍛えてゆくことが、教育をより豊かにしてゆくために必要なことと思われる。

3 教育の中の二つの原理

*父性原理と母性原理

・父性:「切る」機能を主とする。善と悪、できる者とできない者、固いものと柔らかいもの、なんでも明確に区別してゆく。

・母性:「包む」機能を主とする。すべてを全体として包み込んでゆく。

・どちらが正しいというのではない。

日本は欧米に比して母性原理が強い国であったが、交際交流が活発で、かつ欧米の文化を輸入している間に、父性原理の方も大分輸入しつつある。そして、頭で考えるときはー特にインテリはー父性原理に近いのだが、実際行動や感情的な面では、まだまだ母性原理によって生きている。

*何によって教育を考えるか

・母性原理が強いなかで、西洋流のこの原理の確立を意図する者は、大変な困難に会う。

あるいは、創造的な活動をしようとする人にとっても、「足をひっぱる」人が多いために苦労しなくてはならない。ともかく、人々と異なることをするのが極端に難しい。

*原理を深める

・二つの原理が簡単に相容れない時、ある一つの原理を正しいとしてそれを強化するのではなく、原理を深めるということを考えるべきだ。

原理を深めるとは、自分のよって立つ原理に対立する原理にも意味があることを認め、その葛藤の中に身を置いて、右に左に、それを繰り返しながら、自分のよって立つ原理をできる限りたと関連せしめることによって、ものの見方を豊かにしてゆくことである。

*教育の創造性

・わが国の母性原理の強さに起因する一様序列性の害は、いくら強調しても足りない。

 自分が序列のどこにいるのか、部長か課長か、課長でも1番目か2番目か、ということによって自分のアイデンティティを保っている人が多い。

・もし、生徒たちに対して、本当に個性の伸長などということを期待するのなら、教師、教育委員会の人たち、文部省の役人が、一様序列的アイデンティティ以外の個性に基づくアイデンティティを持つべきであろう。

教育の場は、既成の価値によって運営されるというのではなく、新しい価値を創造してゆく場として意味をもつ。


☆以上が、序章の大事だと思われる部分のメモになります。

いかがでしたでしょうか?

特に大事だと思われる部分を赤字にしておきました。
今日の教育における一様な価値観は、テストで点数を取ることや学歴をつけることなっていて、子どもたちの幸福を奪っているとはっきり問題提起されています。
ここは、ものすごく大事なポイントだと思います。

30年経った今日でも、この問題は解決されていません。
しかし、何とかしなければいけないと考え出している人も増えてきているように感じます。それは、先にコラムに書いた内田先生の『複雑化の教育論』がAmazonで一位になったりするような社会の動きにも現れているでしょう。また、身近では、保護者の方々と対話をしている中でも「いい大学ーいい会社」という価値観だけでは子どもが幸せになれないのではないかという人が増えてきているように感じます。

LEADでの学びを、上記の問題を意識してさらに磨いていきたいと思います。

Ⅱ 大人が子どもにかかわること

1「教える」と「育つ」

*教育とは何か

教育「教」(教えるー教える側)「育」(育てるー教える側、育つー本人)

・教育:そのベースに、教育される側に潜在している「育つ」力ということを無視することはできない。

・これまでは、どうしても教育する側の視点から発言されることが多かったので、「育つ」はおろか「育てる」ことの方さえ、軽視される傾向が強かったのではなかろうか。

・ここで反省しなくてはならないのが、一般的な「教え」に乗ってこない、あるいは乗れない子どもたちがいるということである。

それと、大人が既成の知識体系を注入することに熱心になりすぎて、子どもが個々にもっている個性を壊すことになっていないか、ということである。

・個性の強い子どもの方が、既成の知識を注入する「教え」には乗り難いと言える。

・そこで、教育における「育てる」「育つ」側面の重要性が浮かび上がってくる。

 知識を注入するのではなく、自らの力で知識を獲得できるように「育てる」ことを考えよう。あるいは、自らの力で「育つ」ことを援助できないかを考える。

・(心理臨床の試みの中で、)失敗を繰り返しているうちに、われわれは「教える」ことを焦るよりも、根本的には、「育つ」のを待つ方が、はるかに効果的であることを知らされた。

・教育全般に対しても、「育つ」ことの重要性をもっと認識すべきであるという反省へとつながってきた。

*教師の判断

子どもの好きと思うことをやらせてやる、そこから個性は開花してくる。

・子ども個性を伸ばす教育をするためには、教師自身が画一的な方法にしがみついていたのでは駄目であることを自覚しなくてはならない。

*臨床教育学の成立

・教育は方向性を持ち、目標や理想をかかげねばならない。そのために、人間の行為が正の価値をもったもの、負の価値をもったものに分けられる。

 しかし、そこで正の価値を追求することだけに焦ってしまうと、とんでもない失敗を犯すことになる。一見、負の価値のように見えるものが、実は個性を伸ばす上で、大きい価値をもっていることもある

 このパラドックスを大切にしなかったら、真の教育は成し遂げることができない。

・以上のような反省をもとにして、京大教育学部で、「臨床教育学」という講座を開くことになった。

2「教育」はいま

*現代における教育の課題:国際化、個性の伸長、生涯教育

*教育を考え直す

・現代:知識のつめ込み

・この状態は、子どもの「自然破壊」。子どもが「自然に育つ」過程に対する干渉があまりに多すぎる。

・個性を尊重するためには、個人の持つ可能性が顕在化してくるのを待たねばならない

 ところが、できるだけ多くの知識を効果的に吸収させようとすると、それはむしろ個性を破壊することになる。

 しかも、評価を「客観的」にするという大義名分のために、「正答」が決まっている問題をできるだけ早く解く訓練をすることは、ますます個性を失わせることにつながる危険性をもつ。

・これらのことによって、「自然」の成長を歪まされている子どもたちに対して、もう一度根本にかえって、自ら「育つ」ことの良さを体験してもらうことが、現代の教育においては必要となってきている。

*放任の害

・子どもが自ら「育つ」ことを強調するあまり、まったく放任しておけばよいと考えるのも誤り。

 特に家庭教育では大切。

・子どもが自然に育つと言っても、その傍らにそれを見守っている大人が必要

・「育つ」ことが大切と言いつつ、やはり「教える」必要性を認め、「教える」ことが大切というときも、教えることが可能になるように「育っ」てきていることの必要性を認めねばならない。

*個性と教育

大学入試で非常に大きい問題となるのは、制度そのものよりも、日本中の人が大学や学部などについて、細かに順序づけを行い、少しでも序列の高いところに入学しようとしていることである。

*日本人と個性

・欧米人の近代合理主義に支えられた自我の確立を、日本人はいまだ十分に成し遂げていない。

・そこに、わが国特有の序列性がはたらき、欧米の能力差の考えが混入してくると、個人的な能力の多様性、個別性を認めるのではなくて、能力の一様な順序をつけることのなってしまう。

・親は、受験する学校が一様序列のどの段階に存在するかを問題にし、できれば少しでも高い序列ところに入れたいと願うので、受験競争はますます激しくなる。

 高校の教師もこの考えにとらわれ、「君のこの成績だと、教育学部なんかにゆくのはもったいない。医学部にしなさい」などという進学指導をすることになる。つまり、本人の個性や希望などは無視して、可能な限り高い序列ーと一般に考えられているところーに入れ込もうとする。

・日本人のこのような傾向がもう少し変化しない限り、制度の改変によって大学受験の受験地獄を緩和することは極めて困難であると思われる。

*「個性的」であること

・集団の一般的傾向と異なる生き方をすることは、どこの社会でもなかなか難しいことで、教育者が被教育者の個性的表現を許容したり、促進したりする態度を持つことがいかに難しいか。

・そろそろ行き詰まりを見せている近代自我を超えたあり方を、われわれは探索しなくてはならない。

わが国の教育のあり方は、欧米をモデルにするわけにもゆかず、日本の従来の方法をよしとするわけにもゆかず、「個性」を見出してゆくのには、いったいどのようにすべきか、強いジレンマに悩まされる。

*創造過程としての子ども

・子どもは創造過程そのものだ。大人が子どもに対する期待を持ち、むやみな干渉を行わない限り創造過程が進行する。

・強調したいのは、子どもに対するわれわれ自身が生きているものとして、われわれの態度そのものがその後の現象に影響を与え、われわれ自身が現象のなかに組み込まれてしまう、という事実である。

・創造過程は、相互的に生じるものなのである。
・個人の持つ可能性が顕在化してくるのを待たねばならない


☆以上が、Ⅱの大事だと思われる部分のメモになります。

いかがでしたでしょうか?

特に大事だと思われる部分を赤字にしておきました。
とりわけ、
・「育てる」「育つ」側面の重要性
・個人の持つ可能性が顕在化してくるのを待たねばならない
・傍らにそれを見守っている大人
という指摘は、とても大事だと思います。
これは、スタンフォードの星先生の『学育』という考え方、また内田先生の、教育は子どもたちの成熟=複雑化を促すことという論点と重なって見えます。

この辺りに、これからの教育のあり方を考えていく大きなヒントがあるようですね。

こうした論考を踏まえ、かつ、大学入試の制度が現実にある中で、子ども成熟・成長を軸にした教育をどう実践していくのかをしっかり考えていきたいと思います。

Ⅲ 教える側、教わる側

1幼児の成長と教師の役割

*遊びの意義

*関心を持って見守る

*楽しさを見出す

教師として大切なことのひとつは、自分の仕事に楽しさを見出すことである。

 仕事を楽しくするためには、子どもたちをよくみること、それも温かい目、長い目でみることである。

・子どもを「長い目」でみるとは、判断をすぐ下さずに少し待っていることである。

・「長い目」というとき、それは1年を通じての長い目ということもある。変化の早い子もあれば、遅い子もある。

 教師は焦っては駄目である。

・私は、子どもを育てる、というときに「植物」をイメージする。

 子どもを「機械」のように考えて、「こうすればこうなる」と、教師がそれをコントロールしようとすると、思いのままにならないことが出てきていやになるのではなかろうか。

 植物の成長を楽しんで見るような態度を身につけると、楽しみが増えてくるように思われる。

【2日本文化のなかの教師と生徒の関係

*文化のなかの教育

・われわれはどうしようもなく日本的に生きているのであるが、それとは異なる生き方や考え方にも開かれた人間をつくるように教育を考えてゆかねばならない。

・それには、日本的なものを一方的に否定するのではなく、日本的なものも残しつつ、新しい生き方を見出すように努めねばならない。

*「発見的」過程としての授業

・正しい答がなくても、やはりわれわれは、何らかの改革を考えてゆかねばならない。

・しかし、それを規範適用的にやるのではなく、発見的のやりたい。

 「規範適用的」とは、日本式なりアメリカ式なりの規範があって、それをすべての場合に適用してゆこうとするものである。

 それに対して、「発見的」とは、一応は自分なりの方向性や理論を持つにしても、個々の場合に応じてそれを変更したり、考え直したりしながら進んでいく方法である。

*教師の個性とは

・教師は、教材をどのように与えるか、そして、生徒はそれにどう反応するかとなると、毎回が新しいことであり。教師も安閑としておれない。

 教師も常に新しい発見をし、進歩し続けていると、その姿勢を生徒たちも感じ取ることがあろう。

 教師がその持っている知識だけでなく、それをいかに伝えるか、あるいは、生徒とともにいかに「発見」を繰り返してゆくか、に注目することが、教師自身の進歩を促すことになるだろう。

3体育と笛】

4不登校の「処方箋」

*不登校の種々相

・学校に行かない子どもは確かに増えている。

 少なく見積もって、中学では100人に一人はいる。

*いろいろな要因

・なぜ学校に行かないのか理解し難い場合が多い。

不登校には色々な種類があるので、それに対処する画一的な方法がない、ということは非常に大切。

*行きたくても行けない子

・決して怠けているのではなく、本人も学校へ行きたいのに行けずにいることを、まず理解してやらねばならない。

人生は長いのだから、4・5年の遅れなど後では問題でなくなるし、その間の経験がその人の人間的成長に役立つことなどを考えると、不登校の子どもの周囲の家族や教師などにとって一番大切なことは、少しの遅れなど大丈夫という気持ちと、いつかはよくなるという希望を失わないということであろう。

*さなぎの時期

・人間にとって子どもが大人になるということは、なかなかのことである。

 毛虫が蝶になる中間に「さなぎ」になる必要があるように、人間にもある程度「こもる」時期が必要なのである。

 思春期から青年期にかけて、ほとんどの人に、それは何らかの形でやってくる。

・そのような「さなぎ」状態が他の子どもよりきつい形で現れてくると、不登校になり、文字どおり部屋にこもるようになる。

 このような時に、一番大切なことは、それを尊重して「待つ」ことであろう。

 ときが来れば必ず出てくるし、そのときの遅れなど必ず取り戻せる。

 ただ、その間に希望を失わずに待つことが難しいことである。

 しかし、それが一番いい「処方箋」なのである。

「干渉はしないが、放っておくのではない」という難しい状態に、周囲の者がなるといいのだが、これは修行を積んだ高僧のような境地かもしれない。しかし、ともかく暖かく待つのである。

 「さなぎ」の殻の中では常人の想像を絶した変化が生じているのである。

*未来に向かって

・不登校に際しては、原因などわからなくとも、これからよくするために、皆が何をしたらいいかを考えましょう。

 過去をふりかえって悪者探しをするよりも、未来に向かって、よくなる道を探し出すためにともに努力してゆきましょう。

*静かな革命

・社会が変わるにつれて、人々の生き方も変わる。そのためには、それぞれの人が自分の生き方を変えるために努力をしなければならない。

・(子どもが不登校になって)、「戦い」によって改革するよりは、それに先立って「静かな革命」を推し進める方が得策である。

・「希望を失わずに待つ」ことが、大切な「処方箋」の一つなど言ったが、それを行うためには、専門家の援助を必要とすることも多い。

 専門家による見通しと、その態度に支えられてこそ、本当の意味での「待つ」ことも可能になってくる。

*教師として

教師が、子どもの状況を怠けでも「変な」ことでもなく、そのうちに「さなぎ」の状態を抜け出てくるものとして見てくれているとわかることは、子どもにとって非常に心強いことである。

・重い場合は、われわれのような専門の臨床心理士に相談するのがいい。

・不登校は、文化の病、社会の病、時には学級の病、学校の病であったりすることにも注目すべきである。


☆以上が、Ⅲの大事だと思われる部分のメモになります。

いかがでしたでしょうか?

特に大事だと思われる部分を赤字にしておきました。
とりわけ、
・子どもを育てる、というときに「植物」をイメージする
・さなぎの時期
という指摘は、とても大事だと思います。
『育つ」ことを待つ=「育てる」、ということを意識することですね。
これは、内田先生の、教育は子どもの成熟のためという論点と重なって見えます。

この辺りにも、これからの教育のあり方を考えていく大きなヒントがあるようですね。

こうした論考を踏まえ、かつ、大学入試の実力をつけていくことと子ども成熟・成長をどうかねあいをつけて実現していくのかをしっかり考えていきたいと思います。

Ⅳ こころが育つ環境

1子どもの倫理と道徳性

*壁としての道徳

・思春期において内面に生じてくる衝動から、本人はある程度守られていなくてはならない。それをそのまま受け止めてしまっては、破壊性が強すぎる。

 それを守る防壁として道徳が役立ってくれる。

・生徒たちは、悪いと知りつつ、ともかくやむにやまれぬ気持ちで何か悪いことをやろうとする。そんな時に、それは悪であるとはっきり明示し、その行為をとめる人が存在すると、彼らは自分のやりたいことをとめられた不満をもらしつつ、心の底では「ほっ」としたり、喜んでさえいる。

*壁の持つ意味

・思春期の生徒の心の奥底からつき上がってくる衝動に対して、大人が防壁となって立ちはだかってやる心構えを持つことが必要である。

・そのような壁にぶつかってこそ、破壊的なエネルギーが建設的なものに変容するのである。

2性の理解と教育

3思春期の心理

*思春期の難しさ

思春期は、人間の内部で大変革が生じる時期「さなぎ」の時期。

・さなぎが堅い殻によって守られているように、思春期の子どもも堅い守りを必要とする。

 その「守り」を提供するのは、両親であり、教師であり、その背後にある社会全体である。

・この時に大切なことは、その本人も自分の心の奥底に生じたことについては明確に認識できないということである。

 大人になると忘れていることが多いが、教師として生徒指導にあたるためには、このことをよくよく知っていることが必要である。

*生徒の信頼を得るために

・まず第1に、既に述べたような思春期の難しさを、教師自身が腹の底からよくわかっていることである。

 そのことは何となく生徒たちに通じるものだ。彼らはその教師の側にいると安らぎや心強さを感じるので、信頼感を寄せてくる。

・このことを誤解して、生徒たちの荒れを見逃すことだと思っては困る。

 やはり、悪いことは悪いという厳然とした姿勢を教師は持たねばならない。そうすることは、実は彼らに対する「守り」なのである。

・生物学によると、ある個体が成長するためには、常に適切な抑制者(インヒビター)が必要である。

 思春期の子どもは、強力な抑制者にぶつかることによって、そこに分化が生じる。

 つまり、子どもたちが自分の内面の動きに、いろいろな要素が混じっていることに気づき、感情が豊かになるのである。

 真の成長のためには、文化と統合の過程がなくてはならない。

 その分化を生じさせるうえで、強い抑制者の存在が必要となってくる。

*学校全体の姿勢

・ここまで述べてきたことは、中学・高校における生徒に対する「管理強化」などとは、まったく異なる。

 教師は、不退転の壁でなければならないが、その「壁」は子どもたちの内面の嵐について十分知っており、それを感じ取る鋭い感受性と暖かい感情を備えていなくてはならない。


☆以上が、Ⅳの大事だと思われる部分のメモになります。

いかがでしたでしょうか?

特に大事だと思われる部分を赤字にしておきました。
とりわけ、
・「守り」を提供するのは、両親であり、教師であり、その背後にある社会全体
・子どもたちの内面の嵐について十分知っており、それを感じ取る鋭い感受性と暖かい感情を備えていなくてはならない。
という指摘は、とても大事だと思います。


『育つ」ことを待って「育てる」側がどう子どもたちと関わり環境を作っていくべきか、を提起していただいています。

この辺りにも、これからの教育のあり方を考えていく大きなヒントがあるようですね。

こうした論考を踏まえ、かつ、大学入試の実力をつけていくことと子ども成熟・成長をどうかねあいをつけて実現していくのかををテーマに、LEADメソッドをしっかり考えていきたいと思います。


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